死にたがりの楽天家・自由堂ノックがが裁判傍聴やADHD、仮面ライダー、刀使ノ巫女などをテーマに書きます。
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本日は雪ということで、おうちにこもって映画鑑賞。
「午後のロードショー」で「X-MEN」を鑑賞。
わたくし、「X-MEN」や「スパイダーマン」のようなアメコミ由来のアクション映画が、
……まあまあ好きです。まあまあですね(ふつう、「大好きです」という流れ)。
アメリカのアクションものって、すぐ恋愛ものに持っていこうとするところがあまり好きじゃない。その点、仮面ライダーはそういった描写がほとんどないから、「この二人、もしかして……」などと妄想する余地があって面白いのです。
とはいえ、子供のころ読んでいた「てれびくん」になぜか「X-MEN」が取り上げられてて、かぎ爪と驚異の再生能力を持つウルヴァリンとか、目から光線を出せるサイクロプスとか、テレパシーが使えるプロフェッサー・Xとか、なんとなく知ってるのですよ。
しかし、このX-MEN、調べてみるとどうやらただの万国でたらめ人間ショーではないみたいで。
突然変異によって特殊な力を持つミュータント。彼らはその能力のせいで、人間からおそれられ、迫害されてきた。
人間との共存を望むプロフェッサー率いるX-MENと、人間との決別を主張するマグニートー一派。これはいわば穏健派と過激派の戦い。プロフェッサーをキング牧師に、マグニートーをマルコムXに例えることもよくあるとか。
そのような構図になっているのは、どうやらX-MENが始まった1963年当時盛り上がっていた黒人が自分たちの権利を求めた公民権運動が反映されているからなんだとか。
また、ミュータントへの差別の描写がLGBT差別に似ているらしく、当事者の方が見ると、LGBT問題の暗喩に見えるのだとか。
マイノリティの人が見ると、単なるヒーローものではなく、そのマイノリティを反映した作品という視点で見れる。それが「X-MEN」。
すなわち、
ADHDの人間が見ると、まるでADHDのことを書いたような映画に見える!ということです。
今回のテーマはずばり、「ADHD的X-MENの感想」です。
ここから先は、プロフェッサー・ノックと呼びたまえ(笑)。
ADHD的チェックポイント① 学校になじめない
ミュータントを迫害する上院議員に、変身能力を持つミュータント「ミステイク」が襲撃するときのセリフ、「お前のせいで、私は学校に行けなかった!」
ADHDの子供でも、学校になじめない子供は多いです。特に多動性・衝動性が強いジャイアン型。
ジャイアン型はじっとしているのが苦手なので、授業中に勝手に出歩くなどの「問題行動」(学校側の視点で言えば)が多いのです。
また、注意欠陥が多いのび太型も、要領が悪いため、いじめの対象になる可能性が高いかも。
X-MENの「恵まれし子らの学園」みたいにADHDの子だけの学校を作れ!とまでは言わないけど、何らかの配慮は必要だと思います。
ADHD的チェックポイント② 能力のコントロールが難しい
以前にも書きましたが、ADHDは能力です。そう思わないと、やっていけません。
ADHDという能力
能力名「不安定な天才(アンバランスギフト)」です(笑)。
ミュータントと「不安定な天才」の共通点。それは、
能力のコントロールが難しいということ。
X-MENでは度々、能力の制御ができなくて……、みたいな描写があります。
同じように、ADHDの能力である「過集中」と「発想力」はなかなかコントロールができないのです。
過集中に関しては、集中を制御できないから過集中というくらいで。
また、発想力については制御できないというよりは、「どうやっているかわからない」。
ADHDが人からほめられるような才能っていうのは、学校で教わったり、影でこっそり練習しているようなものではなく、何となくできちゃってるもの(もちろん、能力の代償として、どんなに頑張ってもできないことの方がたくさんあります)。
つまり、本人もどうやっているのかわかっていない! なんでできちゃうのかがわかってない! 何がウケてて、なんで褒められてるのかがわかってない!
「教えて」と言われても、本人も困るわけです。どうやってるかわかってないから。サイクロプスが「目からビームを出す方法を教えてくれ」と言われているようなものです。
「こっちが知りたいわ! なんで俺、目からビーム出るんだよ!」
ADHD的チェックポイント③ 社会から迫害される!
X-MENでたびたび描かれるのが、社会からの迫害。
これはADHDもひしひしと感じているわけですよ。
とにかくまぁ、簡単な仕事ができない!
言われたことができない。段取りが取れない。ミスが多すぎる。何度言っても治らない。
そのせいで、職場は正社員・バイト関わらず、肩身の狭い思いをしているのです。
表だってヘイトスピーチをされてるわけではないけれども、「冷たい視線」ってやつをひしひしと感じて日々生活をしているわけです。
ここからは、炎上覚悟。
今年、とある障害者施設で多くの障害者の方が殺害されるという、痛ましい事件がおきました。
「障害者は殺さないといけない」みたいな主張をした犯人に対し、多くの人が「そんなの間違っている!」と声を上げました。
そんな話を聞くたびに、正直ぼくはこう思っていたのです。
「ウソつけ、ボケ!」
障害者に人権があるだぁ?
お前ら、思ってもないことを言うんじゃない!
そういうよい子ちゃんなセリフは、職場やバイト先で、ADHDをはじめとする発達障害者に
「邪魔」
「使えない奴」
「早く辞めないかな」
「職場からいなくなればいいのに」
という視線や言葉を投げかけたことがない人に口にしてほしいものです。
ADHDをはじめとした発達障害は、なかなか外から気づかれることがないし、そういう人たちがいることすら知らない人も多いので、
僕の実感では、こういう視線を投げかけてくる定型発達者は、かなりいます。
もちろん、僕らに反論するチャンスなんてありません。だって、仕事できないんだもん。
そんな定型の皆さんが、痛ましい事件が起こった時だけ「障害者にだって人権があって、それを排除していいなんてことは絶対にない」だなんて教科書的みたいなことを言われても、
ドン引きするだけなのです。
僕はあの事件の犯人はかなり極端だっただけで、障害者を排除しようという感情は、障害者が身近な人を除き、誰しも少しずつ抱いているものだと思っています。
そういう視線を感じながら、仕事をしてきました。
なぜ、平日の昼間からおうちで映画が見れる仕事をしているかって?
どっかに通って、みんなで協力する仕事をすると、「そういう目」で見られるからです。
普段は障害者を邪魔者扱いすることに罪悪感を抱かないくせに、こういう痛ましい事件が起きた時だけ、普段をすっかり忘れて「犯人が許せない」とかいうやつが、
僕は許せないのです。
もちろん、僕も24歳の時に初めて自分がADHDだと知ったので、それ以前にはそんな目で障害者を見たことだってあるでしょう。
だから、普段のふるまいをすっかり忘れて「犯人が許せない」などとのたまうやつには、こう言ってやりたいのです。
「あの事件の犯人は、僕であり、おまえだよ」
今回のまとめ
・ADHDにとって、学校教育は課題である。
・ADHDの能力は、コントロールが難しい。
・ADHDは「冷たい視線」に日々さらされて生きている。まあ、どこのマイノリティでも同じでしょう。