どうも、推定ADHDの自由堂ノックです。
今回からちょいちょいADHDについて書いていこうかな、と思います。
ADHDとは
「極度におっちょこちょい。もしくは、極度に落ち着きがない。本人の努力次第ではどうしようもない」という障害です。
なぜ僕が筆を執る必要があるのか。世の中にはすでにADHDに関するHPがいっぱいあるのに。
でも、その数はやっぱり一個でも多い方がいい、と思い筆を執りました。
なぜなら、
①ADHDは周りの人間に理解してもらうことが不可欠
②自身がADHDでありながら、大人になってもそのことに気付かず、自分が「単なるダメ人間」だと思い詰めて苦しんでる人が多い
特に、②の場合、周りも本人も「努力すればまともになる」と思ってるため、もう十分頑張ってるのに
「努力が足りない」と自分を責め、周りから責められてしまうのです。
ADHDに必要なのは、努力ではなく工夫です。
さて、
ADHDとは発達障害の一つです。
発達障害とはなにかというと、知的障害の一つです。
そうです、わたくし、推定知的障害者です。
『障害』には3つの種類があります。
「足が動かない」とか「目が見えない」みたいな身体障害者。
精神に支障をきたすのが精神障害。これは
すべて後天的なものだそうです。
一方、脳に何か問題がある知的障害の場合、全て先天的、すなわち、
生まれつきのものだそうです。
そして、
発達障害はこの知的障害の一部なのです。
では、発達障害とは何か。
『発達障害
は、肉体的・精神的な不全をもたらす慢性的症状らの様々なグループ(障害者の分類)である。』(wikipediaより抜粋)
ここからわかることが一つ!
ウィキペディアで医学的なことを調べても、余計にこんがらがるだけである!
発達障害とは、脳機能に異常だか何だかがあるせいで、普通の人より発達の遅れがある障害。
その一つがADHDです。
発達障害にはADHDのほかにアスペルガーとは学習障害とかがあります。親戚みたいなもんです、たぶん。
つまり、
ADHDとは脳機能の異常で起こる障害で、知的障害の一種である。
しかし、ここで僕のことをリアルで知っている人は、僕がいわゆる「知的障害者のイメージ」には当てはまらないと思っているのではないでしょうか。
一応、大卒だし。
ほかのADHDの人も、「そもそも机でじっとしてられない」とか「授業やテストにずっと集中し続けられない」みたいなことはあっても、個人差はあるにせよ学校の勉強はできるのです。
その証拠に、実は僕の母が、僕が子供のころに「この子なんかの障害なんじゃないか」と疑ったことがあるそうなのですが、「でも、学校の勉強は普通にできてるから違う」と考えたそうです。
知的障害だったら、学校の勉強ができないだろう。学校に行ける程度の知能がある場合は障害ではない。これが一般的な「知的障害」に対する認識だと思います。
ところが、学校の勉強はできるのに、何か仕事をさせると、マニュアルの手順すっぽかすわ、うっかりミスが多いわ、忘れ物多いわ、そもそもやること自体を忘れるわ。
学歴と行動が釣り合わない!
難しい言い方をすると、
「言語性IQは普通なのに、動作性IQが極端に低い」ということになります。
すなわち、
「喋ってるときは全然普通だし、学校のテストも問題ないのに、行動だけを見てるとどうしようもないおバカ」というわけです。
どうしてそんなことが起きるかというと、
ADHDは脳内のドーパミンという物質が少ないため、前頭葉の働きが普通の人より弱いと言われています。
ちなみに、ADHDに対して「普通の人」のことを「定型発達者」と呼びます。ネットだとよく「理解のない定型クソ」みたいなこと書かれてます。
定型の人がADHDにいら立っているように、定型にいら立つADHDもいるのです。
さて、前頭葉の働きが弱いとどうなるか。
情報の優先順位が付けられず、脳内の整理ができない! 頭んなかぐっちゃぐちゃ!
その結果、
情報がどっかにいってしまうのです。
たとえば、「駅に行く途中に自販機で飲み物を買う」と情報を考えて出かけたとしましょう。
その途中、きれいな桜が咲いていました。
定型の場合、「桜がきれいだ」という情報は「どちらかというとどうでもいい情報」として扱われます。
しかし、ADHDの場合、「駅に行く途中に自販機で飲み物を買う」と「桜がきれいだ」が
同じ価値の情報として扱われてしまうのです。
情報の優先順位が付けられないから。
さらに、「犬が散歩している」とか「バイクがうるせー」とかも同じ価値の情報として扱われます。
そして、
「駅に行く途中に自販機で飲み物を買う」を忘れ、飲み物を買うことなく電車に乗ってしまうのです。
財布と家の鍵とマンガとぬいぐるみとどうでもいい小物が乱雑に置かれて、財布が見つからない部屋。そんな感じ。
ADHDは大きく二つのパターンに分けられます。
極度におっちょこちょいな
「のび太型」と、じっとしてられない乱暴者の
「ジャイアン型」。
よって、この障害を
「のび太・ジャイアン症候群」と呼ぶこともあるのです。専門医の人でも説明する時に「のび太型」「ジャイアン型」という言い方をします。
のび太型の症状
・忘れ物が多い
・うっかりミスが多い
・手順をよく間違える
・やろうとしてることや、予定を忘れる
・何か手続きをすれば、ほぼ間違いなく書類不備
ジャイアン型の症状
・じっとしてられない
・じっくり考えられない
・並んで待てない
・早口、しゃべりすぎ
僕は「のび太型」です。でも、ジャイアンの症状も少しあります。
「完全なのび太型」や「完全なジャイアン型」という人は少ないと思います。多くのADHDは
「のび太の方が強い」「ジャイアンの方が強い」といった症状の出方をします。
ジャイアン型の症状がさっきの理屈だと説明できない、と思いませんか。
ADHDはドーパミンが少ないため、常にドーパミンを欲しています。
ドーパミンは趣味に没頭するとか、ロックンロールを聞くとか、エッチな動画を見るとか、
刺激を受けることで増えます。
逆に言うと、
ADHDはドーパミンが出てこない「退屈」が苦手なのです。
そのため、
「じっとしてられない」「並んで待てない」「人の話をさえぎって喋る」などの行動をしがちなのです。
このほかにも、こんな症状があります。
・計画が立てられない
・時間が守れない
・お金の管理ができない
・集中力がない
と、ここまで説明すると、たいていの人はこういいます。
「でもさ、そんなの誰にでもあるじゃん? 誰だってうっかりミスするし、おしゃべりな人なんていっぱいいるし、時間にルーズなやつだっていっぱいいるし、それいちいち『障害』って言ったらもう、みんな障害者じゃん」
あなたがそう聞いてきたら、私は何千回でも答えよう。
その通りだ。(チェ・ゲバラ風)
実はADHDと定型の間に明確な壁はありません。
ウォールマリアもシガンシナ地区もないのです。
誰しも、ADHD的なところはあるのです。
そのADHDレベルが1の人もいれば10の人も50の人もいます。
53万の人もいれば、8100万の人もいます。
このADHDレベルが高いといろいろ困ることがあるから、とりあえず名前付けようか、という話なのです。
特に、
ADHDレベルの高い人は、子供のころからその傾向が強く、大人になっても改善が見られない、という特徴があります。
では、そんな社会のお荷物ADHDと付き合っていくにはどうすればいいか。
一番大事なのは
「本人の努力では改善しない」ということです。
目の見えない人が努力で見えるようにはならないように、足のない人が気合で足をはやすことができないように、
ADHDが努力や気合で何とかなる、なんてことはありません。障害ですから。
大事なのは努力ではなく工夫。
ADHDの症状に改善が見られない場合、「本人の努力が足りない」のではなく、
「本人、及び周りの工夫が足りない」のです。
では、どんな工夫をすればいいのか。
のび太型の場合
・メモや手帳、ホワイトボードを活用する!
予定は
どうせ忘れるから、予定表にちゃんと書く!
用事は
どうせ忘れるから、メモにちゃんと書く!
ADHDの家族に留守中とかにやってほしいことがある場合は、口で言っても
どうせ忘れるからホワイトボードに書く!
「どんなに頑張っても、文字とかに残さないと、どうせ忘れる」というのがキモです。
ジャイアン型の場合
・優しく忠告してあげる!
貧乏ゆすりとかは
自覚がないので、本人もそのつど気を付け、周囲も言ってあげる!
喋りすぎ、早口は
自覚がないので、本人もそのつど気を付け、周囲も言ってあげる!
順番を守らないのは
自覚がないので、本人もそのつど気を付け、周囲も言ってあげる!
「自覚がないので言ってもらわないと気付かない」というのがキモです。
また、のび太にしてもジャイアンにしても
「優しく言ってあげる」というのがキモです。
これはADHDのサイトとか見ると必ず書いてあることなのですが、
ADHDは「何度言ったらわかるの!」系の叱責を子供のころからしょっちゅう言われて育っているので、この手の叱責はもうトラウマなのです。
ちなみに、「何度言ったらわかるの!」に対するADHD的な回答は「何度言われても別の情報に埋もれて忘れてしまうのでわかりません。本人の頑張りではどうしようもありません」になります。
本日のまとめ
・ADHDは情報の優先順位が付けられない。
・ADHDは退屈が我慢できない。
・ADHDには「のび太型」と「ジャイアン型」がある。
・ADHDの前に「努力」は無意味。本人や周りが「工夫」することが大事。