全国2000万の「職場のADHDに困っている定型発達者」の皆さん、こんばんは。
推定ADHDの自由堂ノックです。
今回は「職場のADHDが仕事ができなくて困ってる」と悩んでいるあなたのために、とっておきの方法を持ってきました。
これを読めば、ADHDと付き合いやすくなること間違いなし! たぶん。きっと。もしかしたら。
まず、ADHDの人を人間だと思わないでください。
あいつらはロボットだと思ってください。
最低! 人権無視! 差別主義者!
ちがうんだ。まずは話を聞いてくれ。
「人間に指示する」つもりでADHDに指示を出すと、たいてい思ってもみなかった事態を引き起こします。
そうではなく、「ロボット・コンピュータにプログラミングをする」つもりで指示を出してください。
ADHDは言われたとおりに実行するはずです。
私は今回、「ADHDは人間じゃない!」などという、時代錯誤なことを言いたいわけではなく、
「ADHDが起こした職場でのトラブルの半分は、単に指示の出し方が悪かっただけなのでは?」ということを言いたいのです。
例えば、定型の人はあっさりとこんな指示を出します。
「この書類、適当な場所に置いておいて」
そして、あとで様子を見に来るととんでもない場所に置いてあったりして、
「なんでこんな場所に置くんだ! どこに置いたらいいのか、そんなこともわからないのか!」
……あなた、プログラム作る時に「適当に」なんて書きますか?
「適当に」「ちょうどいい感じで」「何分かしたら」「状況を見て臨機応変に」
定型の人たちはこれで動けるのかもしれませんが、ADHDとコンピュータはこんな指示出されても混乱するだけです。
場所や時間、方法は具体的に書かないと、ADHDおよびコンピュータはうんともすんとも動きません。
「ここに」「5分以内で」「Aパターンで、ダメだったらBパターンで」という具体的な指示を出してください。
ただし、事務的ではない仕事、例えばクリエイティブな仕事などに関しては、あいまいな指示でも大丈夫。「もっと詳しく」とか、「もっと激しく」とか、あいまいな指示でも対応できます。
ですが、事務仕事をさせるときは、ロボットのたぐいだと思ってください。
プログラムしてくれれば、その通りに動きます。
しかし、プログラムに書かれていないことはしません。
なので、ときどきADHDに対して「そのくらい言わなくてもわかるだろ!」「そのくらい指示されなくてもやるんだよ!」と怒る人がいますが、
コンピュータがプログラムされたこと以上のことをするわけがないでしょう?
逆に、プログラムした覚えのない行動をコンピュータがとったら、「ロボットの逆襲」的な未来を覚悟した方がいいくらいの異常事態です。
このように、コンピュータのプログラムを組む感覚で、ADHDに「具体的に」「漏れなく」指示を出せば、彼らはその通りに動いてくれるはずです。
むしろ、プログラムの方が、「<」とか、「/」とか1文字抜けただけで、プログラムを実行してくれないので、本物のプログラムの方がはるかに難しいです。
しかし、ADHDはたまに、というかしょっちゅう、プログラムに書いてあることすらすっぽかすことがあります。
どうしろというのだよ(笑)
完全にこのすっぽかしを防ぐことはできませんが、これもプログラムの要領で、やるべきことを一つ一つ順序良く、①②といった番号も使って記述することで、ある程度は防げます。
「具体的的に」「漏れなく」「順序良く」指示することで、ADHDもある程度思い通りに動かせるはずです。
コンピュータのプログラムと一緒です。
プログラムと一緒ということは、プログラムが思い通りの行動をしてくれなかった時、原因は大体「プログラムの書き方にミスがあった」。
ですので、優れたプログラマならば、ADHDへの指示出しなどお手の物なはずです。
すなわち、具体的で、漏れのない、順序の良い指示、つまり、論理的に支持を組み立てて出せさえすれば、ADHDを扱うことはそんなに困難ではないはずなのです。
つまり、何が言いたいかというと、
「職場のADHDが使えなくて困っている」とお嘆きのあなた、
その原因はあなたの指示の出し方が非論理的だから。
わかりやすく言えば、
お前が馬鹿だからだよ、バーカ!(いえーい! 言ってやったぜ!)
1. 無題
何か、うまくやっていくきっかけがココにあればと思って見てましたが、最後の1行で終わりました。
やっぱ無理。
Re:無題
たしかに、「お前が馬鹿だから」というのはちょっときつい言い方なのかもしれません。
ですが、ADHDにとって、健常者からバカにされる程度のことは、小さいころからしょっちゅうあることです。
社会に出ると、人格否定レベルの罵詈雑言を浴びることが日常茶飯事となります。
そして、多くの人は自分がADHDであることも知らず、なぜ自分がこんなにもダメなのかの理由もわからず、努力しても何も変わらず、「自分が馬鹿なんだ」と自分を責め続け、苦しんでいます。
そんなADHDの「屈辱的な生涯」を、健常者の方にもほんの一瞬でも味わっていただきたくて、あの一言があります。