最近、悲惨な交通事故のニュースが後を絶ちません。
たった一瞬の出来事が、被害者や遺族はもちろん、加害者やその家族の人生まで狂わせる交通事故。
実際、そういった交通事故の裁判を見てると、なんともいたたまれない気持ちになります。
普通の刑事裁判の被告人は、わりとふてぶてしい人が多いんです。
起訴事実はおおむね認めておきながら「僕なんか悪いことしたんすかね?」って態度の人が結構いる。
一方、交通事故の裁判の場合、犯罪を犯すつもりなど全くなかったんだけど、ほんの一瞬の不注意で加害者になってしまった、という人がほとんどだから、見ていてなんとも切ないものがあります。
実際、「信号に全く気づいていなかった」とか、「前をよく見ていなかった」「考え事をしていた」などと、理由を聞けば「それはアウトですよ」とは思うけれど、それでも「みんなひき殺してやるぜ!」という明確な悪意を持っていたわけではないので、なんともいたたまれない気持ちになります。
そういった裁判を見た帰り道は、特に交通に気を付けますね。自転車でもうっかりすると自分が加害者になって証言台に座らないといけないかもしれない。
とはいえ、社会問題ともなった「あおり運転」の場合は、やっぱり被告も平素からろくでもない人間みたいで、「俺、なんか悪いことしたっすかね。運転してただけっすよ」みたいなふてぶてしい態度の人が多いです。でも、今はドライブレコーダーみたいな形で証拠が残りますから、あまり言い逃れはできません。当事者の車にドライブレコーダーがなくても、近くを通ったほかの車に搭載されていて、その映像が証拠として裁判所で流されたのを見たこともあります。
「あおり運転のあとぶつかったみたいでしたけど、気づきませんでした~」なんて言っておきながら、その直後に新車だった車を廃車にした、なんてふてぶてしい犯人もいました。気づいてなかったわけがない。
それに比べると不注意からくる事故はやっぱり見ていて切なくなります。
被害者の感情も色々で、被害者がおじいさんで加害者がまだ若く、加害者の反省している真摯な態度が伝わり、「こんな若い人を刑務所に入れてしまうのはかわいそうです。どうか寛大な処置を」と証言したのを聞き、こっちまでほろりと涙が……。
そうかと思うと、加害者が反省しているにもかかわらず「どうか厳しい処罰を」という被害者の方もいました。
でも、その人の場合は全治に1年ほどかかる予定で、しかも、事故で指がちぎれてしまったのだとか。
その人は自営業らしく、体が動かないと今までのような仕事もできず、収入も減り、家族にも迷惑をかけっぱなし。そうなると相手がいくらいい人で反省していても、しっかりとした処罰を望まざるを得ないのでしょう。
交通事故のニュースで「重症」て聞くと「生きていただけよかったなねぇ」と思うけれど、やはり交通事故のけがというのはそんなに軽くないようです。リハビリにはかなりの時間を要し、病院や整骨院に何か月も通う人もいます。仕事によっては事故前なら当たり前のようにできていた作業ができなくなります。また、深刻な後遺症が残り、ある人は脳に後遺症を負って感情のコントロールができなくなり、些細なことですぐ怒るようになって、人間関係がうまくいかなくなってしまいました。たかがケガと笑うべからず、人生そのものに大きな影響を与えるのです。
おまけに、交通事故の裁判は結構長引きます。特に、民事が。
あっちがはみ出してきたんだ、いや、お前が前を見てなかったんだと、双方の主張は完全に食い違うこともしばしば。治療費を請求しようにも、本当にその時の事故でのケガなのか、本当に事故のけがによる後遺症なのか、因果関係はあるのか、というところまでが争点になります。
事故に巻き込まれた側も、事故を起こした側も、交通事故はだれひとり得をしません。
そんな交通事故が今日もどこかで起きてます。2018年は年間で3000人近くの方が交通事故で亡くなったので、毎日10人近くは日本のどこかで跳ね飛ばされて死んでいる計算になります。
日本の交通事故は年々減り続けていますが、それでも、毎日10人はどこかで死んでいる。事故の当事者にとっては「事故は減り続けている」というのは関係なく、目の前で起きたたった一度の事故が人生を大きく狂わせます。
事故をなくすにはどうしたらいいのか。真剣に向き合わなければいけない問題なんだと思います。