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自由堂ノックの「生きるは恥だが死に切れず」

死にたがりの楽天家・自由堂ノックがが裁判傍聴やADHD、仮面ライダー、刀使ノ巫女などをテーマに書きます。

ゲーム、ラジオ、舞台、みにとじ、小説……刀使ノ巫女にまだまだまだまだハマってるよ

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ゲーム、ラジオ、舞台、みにとじ、小説……刀使ノ巫女にまだまだまだまだハマってるよ


アニメ「刀使ノ巫女」が最終回を迎えて、そろそろ1年になる。僕が刀使ノ巫女に本格的にはまり始めてからも、そろそろ1年になる。

1年たつ、ということは4クールすぎたわけで、1クールでどれだけのアニメが放送されるのか知らないが、1クール50作品とすると4クールで約200作品のアニメが放送されたことになる。

その間、ほかのアニメも見ていて、おもしろいアニメもたくさんあったが、刀使ノ巫女ほどはまるアニメにはまだ出会えていない。

それどころか、まだ刀使ノ巫女にはまっている。

ゲーム「刀使ノ巫女 ~刻みし一閃の燈火~(とじとも)」もやっているので、アニメが終わってなお、毎日刀使ノ巫女に触れている。何なら、ついさっきまでとじともやってた。

アニメが終わってからもラジオ「本渡楓のとじらじ」が始まり、秋にはSKEのメンバーを中心に舞台化され、1月にはアニメ「みにとじ」が放送され、今は新作として小説版の発売が予告されている。

こう書くと、コンテンツとしてかなり順調のように見える。

でも、ちょっと醒めたようなことを言うが、

残念ながら、刀使ノ巫女は大ヒットアニメではない、と思う。

「大ヒットアニメ」「人気作」「話題作」と呼ばれるアニメは、もっと他にある。

かといって、幸いなことに大コケしたアニメでもない。大コケしていたら、「みにとじ」なんて予定になかった新作アニメは作られなかった。続編など作られることなく消えていくアニメは数知れない。

大ヒットアニメでもなく、かといって、大コケしたアニメでもない。

「みにとじ」のような次なる展開を続けられる状況にはあると思う。かといって、決して安泰ではなく、次の展開がうまくいく保証などないし、かといって何もやらなければ本当にコンテンツが終わってしまう。

だが、これは決して悲観的な状況ではない。「1年もしたらよっぽど熱心なファン以外には忘れ去られる」のが普通だと思う。マンガやラノベの原作ものではなく、アニメオリジナルならなおさら、だ。「次の展開」がある方がまれである。

だから「なんとか続けられている」という今の状況は、決して悪くはない。

とはいえ、悲観的になる必要は全くないが、楽観視できるわけでもなく、ちょっと気を抜けばもう終わり、となるかもしれない。

それはスタッフも演者も、そしてファンもわかっていて、なんとか終わらせないようにと次の展開を続けるし、ファンはファンでなんとか終わらせないようにと盛り上げる。

アニメが当たることを「ヒット」とはよく言ったもので、こういったアニメのコンテンツ展開は野球によく似てる。

アニメを放送するというのは、打席に立つようなものだ。うまくヒットすれば一塁に進めるが、一塁に進めるアニメはそう多くない。タッチアウトになったり、三振に終わってしまったり、文字通りずっこけてしまったり。

さらに、アニメが打席に立つたびに何億というお金が飛んでいく。大コケ三振に終わって出塁できなかったら、売り上げが出せない。

だから、打率の悪いアニメは、次の打席には出せない。

大ヒットアニメというのは強打者、4番バッターのようなものだ。ヒットやホームランを出す力があるから、次の打席も回ってくる。

マンガやラノベが原作で、「すでに人気がある」とわかっているアニメは、打率がわかっている状態であり、打席に立てばヒットやホームランが出るとわかっているので、安心して打席に立たせられるし、次の打席も回ってくる。

一方、アニメオリジナル作品は打率が全く分からない。ヒットするかもしれないし、ホームランかもしれないし、三振かもしれない。そして、打席に立つたびに億の金が飛んでいく。万が一出塁できなかったら、取り戻せない。

だから、多くのアニメ会社は1クールのアニメしか作らない。万が一打率が低くても、すぐに別のバッターが立てる。逆にもしもホームランが打てたら、次の打席をあげよう。

リスク管理としてはそれでいいのかもしれない。アニメはアートで作ってるのではない、ビジネスだ。多くのスタッフが関わっている。お金にならなきゃ意味がない。金にならないアニメは打席に立たせられない。

だが、1クールのアニメは、「出塁する」くらいでは残念ながらそこまで記憶に残らない。よほどのヒット作でないと、出塁したはいいものの、終わって半年もたつと忘れられ、次の打席が回ってこない。

刀使ノ巫女1番人気のキャラクターである燕結芽は「覚えていてくれれば、それでいいんだよ」と言って息を引き取ったが、この「覚えていてくれれば」がなかなか難しい。

たぶん、刀使ノ巫女も1クール目、胎動編で終わっていたら、出塁しただけのアニメで終わっていたと思う。「いい最終回だったね」とは言われただろうけど、忘れ去られ、次の打席は回ってこなかっただろう。

ところが、刀使ノ巫女は近年珍しい2クールアニメだったのだ。これは野球に例えると、打率も足の速さも全く未知数なのに、「何があっても二塁まで走れ!」と指示を出すようなものだ。二塁まで走ればその分、倍のお金がかかる。

「何があっても」である。途中でずっこけても泥だらけで走り続けなければならない。タッチアウトになっても、相手選手と審判を殴り倒して走らなければいけない。野球でそんなことしたら反則でみっともないことだが、みっともなくても最後まで走らなければいけない。

刀使ノ巫女は1話切りされることで有名なアニメだ。「何が何でも二塁へ行く」と指示を受けて打席に立ったものの、まさかのピッチャーゴロだった。

かろうじて一塁に出塁するも、この時はまだ「よくあるアニメ」の域を出ず、このまま二塁に走っていいものかというところにいたと思う。

それでも、二塁に走らなければいけない。おまけにとじとももある。アニメがコケればゲームもコケる。

刀使ノ巫女の面白いところは、この2クール目で全然違う走り方をしたことだ。1クール目の内容を踏まえつつも、逃走劇の1クール目に対して、三つに分裂した大荒魂がそれぞれの目的で動き、戦いあうという全く違う展開が待っていた。

この「1クール目をぶち壊すくらいの展開」というのが、2クールアニメで大切なことだと思う。1クールもので成功したアニメは数あるが、そういったアニメがもし2クールものだったとして、1クールと同じような展開だったら、ダメになると思う。1クールの内容を踏まえつつ、それをぶち壊すような展開が必要なのだ。

特撮だと、例えば15話目くらいに2号ライダーとか追加戦士が登場する。それによってこれまで主人公と仲間たちが紡いでいた空気が一回ぶち壊される。「いまの雰囲気が好きだから、追加戦士来なくていいのに」という声を聴くこともある。

だが、1年やるとなると、そういったことをしないと、続けていけないのだと思う。

アニメも、半年やるとなれば、「1クール目の続きであって、続きじゃない」というぶち壊し方をしないといけないのだと思う。

そういう意味では刀使ノ巫女は胎動編の内容を踏まえつつも波乱編でそれを壊し、結果、それがはまったのだと思う。

刀使ノ巫女は「最終回に向けた盛り上がりが熱い」「最終回後もファンの熱が冷めない」と言われている。最終回前、特に20話以降の展開は毎回、先が読めずまさかのバッドエンドもあり得るのではないかとひやひやさせた。

一方で、半年かけて紡いできた友情、成長、そして親子の絆をきれいに、そして熱く、回収できた。半年かけた分、より熱いものとなった。ストーリー展開やバトルよりも、キャラクター同士のつながりや成長の方がこのアニメの魅力だと思う。

「何が何でも二塁まで走れ!」との指示を受けて走り出した刀使ノ巫女だったが、半年たってみれば、気づいたら三塁まで走っちゃいました、というところまで来たんじゃないだろうか。

じゃあ、もうちょっと走れるんじゃないか、ということで、とじらじというバッターがラジオという形で打席に立った。最終回後に始まった「終わったアニメの思い出を語るラジオ」だ。

さらに舞台化という形で新たなバッターが打席に立つ。とじともの方はなかなか好調で、常に送りバントを出し続けている。

そして1月のみにとじ。5分アニメという短い時間で、クールも1クールしかなかったが、アニメとして生まれた刀使ノ巫女が再びアニメとしてつくられ、絵が動き、オリジナルの声優さんたちが声を当てる、というのはかなり大きかった。1話賞味3分程度が10話しかないのに、総勢19人ものキャラクターが登場し、刀使ノ巫女の世界が再びアニメとしてよみがえった。終わったアニメの思い出話をするために始まったとじらじで、新作アニメの裏話が語られるようになった。そして、今度は小説版が控えている。

もう一度言う。刀使ノ巫女は残念ながら、大ヒットアニメではない。打席に立てば必ずホームランを飛ばし、がっぽり稼ぐタイプのアニメではない。

華々しさはなく、地道に地道に打席に立ち、コツコツとヒットを打ち、一つずつ塁を進めていく。また、次の打席にバッターを立たせるために。

終わらせないために、続けていくために、コツコツと打席に立ち、コツコツとヒットを打つ。

ファンもそれがわかっているから、なんとか次の打席に立たせようと盛り上げる。

大ヒットアニメはさながら、全国から観光客が押し寄せるイベントのようなものだ。黙ってても客は来るし、黙ってても盛り上がるから、運営は実行委員に任せ、お客さん気分で楽しめばいい。

ところが、刀使ノ巫女のようなアニメは地元のお祭りみたいなもので、黙ってたら観光客なんて来ないから、お客さん自ら一緒になって神輿をわっしょいわっしょい担いで街を練り歩き、盛り上げなければいけない。

なぜなら、ただただそのお祭りが好きだから。

ただただそのアニメが好きだから。終わってほしくないから。なるべく長く続いてほしいから。だから、制作側は打席に立ち続けるし、ファンは神輿を担ぎ続ける。

刀使ノ巫女は残念ながら、大ヒットアニメではない。人気作でも、話題作でもないと思う。

ただ、愛されてるアニメだと思う。ファンからも、演者からも、制作側からも、関わる全ての人から愛されているアニメだと思う。

「愛されている」。それだけでいいじゃないか。

現代社会では「数字」が大きな影響力を持つ。視聴率、円盤の売り上げ、フォロワー数、ツイート数と、数字が何かと取り上げられ、数字で評価される。人気や話題は数字で評価される。

だが、「愛されている」という、数字には魅力をなかなか表せないアニメは、とても面白い存在だと思う。数字には表れないからこそ、その熱量を肌感覚で感じないと、なかなか理解してもらえないだろう。わかりづらいだろう。なんでも数字で評価される時代に、「愛されている」という数字では表れない魅力を備えたアニメが、どう展開していけるのか、どこまで行けるのか。それもまた面白いではないか。その切っ先がどのような未来を切り開くのか。燈火を信じて走り続けた先に何が待っているのか。

何にもいらないから、続けていてくれれば、それでいいんだよ。
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プロフィール

HN:
自由堂ノック
年齢:
35
性別:
男性
誕生日:
1989/03/01
職業:
ライター、商業ラッパー
趣味:
旅、ラップ、特撮
自己紹介:
地球一周した人見知り。フリーライター、地下小説家、商業ラッパー、「さいたま野仏ミュージアム」館長。焼肉記事や特撮記事書いたり、小説『あしたてんきになぁれ』を書いてネット公開したり、野仏の研究したり、川の写真撮ったり、仮面ライダーと戦隊を見たり、TRPGをやったり、そんな毎日。

P R