死にたがりの楽天家・自由堂ノックがが裁判傍聴やADHD、仮面ライダー、刀使ノ巫女などをテーマに書きます。
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えらいことになったぁ!!
久しぶりに、大河ドラマを全部見てしまったぁ!
全部見てしまったのは、「新選組!」以来14年ぶりだぁ! あ、どっちも三谷幸喜だ。
そんなこんなで、今日は「真田丸」の感想です。
「真田丸」にはいろいろと唖然とさせられました。
序盤に織田信長役で吉田鋼太郎をキャスティングしといて、
信長との緊張の対面を描いといて、
本能寺の変をやらない!
だって、真田はいなかったんだもん!
武田を滅ぼした織田につくことを、苦渋の想いで決断したとたんに、
知らないところで信長が死ぬ。
この時、信繁はまだ15歳でした。
その後、信繁は大阪城の秀吉に仕えるようになり、秀吉に目をかけられるようになるわけですが、
信繁33歳の時、天下分け目の戦関ヶ原が起きます。
この時、真田家は父・昌幸と二男・信繁が豊臣に、長男・信幸が徳川に付くという決断をします。
どちらが勝っても真田を残す。勝った側は負けた側を全力で助ける。
これぞ名高き犬伏の別れ!
真田家は故郷信濃にて戦いを繰り広げます。ゲリラ戦を駆使して、徳川を追い払った昌幸と信繁。
これは、次回関ヶ原スペシャルかな~、と思ってみていると、勝利の宴を開く昌幸と信繁のもとに驚愕の知らせが。
関ヶ原にて三成敗北!
石田光成、大谷吉継、徳川家康と、真田にゆかりのある人たちがいっぱい参加していたのに、
関ヶ原、一切やらない!
だって、真田いなかったんだもん!
本能寺の変もやらない。関ヶ原の戦いもやらない。
それならば、「真田丸」最大の見せ場とはいったいどこなのか。
大坂夏の陣、まさに最終回、信繁改め幸村が家康を追い詰めるあの時です。
家康は「わしを殺したくば殺せ! しかし、何も変わらんぞ! 徳川の世はすでにゆるぎないものとなっている!」というラスボス感満載のセリフを吐いています。
後は最後の変身をしてライダーキックでとどめを刺すだけ!(仮面ライダーの見すぎ)
まさに、あの瞬間が、真田丸最大の見せ場。
そのことは、幸村自身が認めているのです。大阪城に入る前に、きりに「あなたは何も成し遂げていない」と指摘され、「そんなことはお前に言われなくてもわかっている!」と激高する幸村。
逆に言うと、大坂の陣がなければ、幸村は大河の主役を張ることはできなかったでしょう。
思えば、歴史に振り回され続けた人生です。武田が滅ぼされ、織田についたと思ったら知らないところで信長が死ぬ。その後、大阪城で秀吉に仕え、かわいがってもらうもあくまで家臣A。関ヶ原の戦いで石田側に付いて、自分はそこそこ戦果を挙げたのに知らないところで三成が負けて、山奥に飛ばされる。
確実に歴史のあおりを食らっているんだけど、いつも知らないところで事件は起きて、いつも負け組。
そのうえ、大坂の陣でも負けて死んだとだけ書けば、完全な敗北人生です。
だが、違うんだ。話を聞いてくれ。
真田幸村は、最後の1日こそが、人生で最も輝いた日であり、歴史になお残す日だったのだ。
そんな人、他にいるか?
例えば、真田の宿敵、徳川家康の大河ドラマを作ったとしましょう。
やはり最大の見せ場は関ヶ原の戦い。その後、幕府を作り、大坂の陣で豊臣を滅ぼすまでがクライマックスでしょう。
家康の最期はその1年後。死因はなんと『天ぷらの食べすぎ』。
もっとも、現在は胃癌が原因だったといわれていますが、いずれにしても、家康のドラマは関ヶ原がピークでしょう。
秀吉も同様。栄華を極めた後の秀吉の生活10年分をだらだらとみてもしょうがないでしょう。ダウントン・アビーじゃないんだから。
信長はやっぱりその最期、「本能寺の変」は盛り上がりますが、本能寺の変こそノブナガ最大の見せ場化と言われれば、やはり違うでしょう。
三谷幸喜といえば以前は大河ドラマ「新選組!」を書いたことで有名ですが、新選組もまた、歴史の敗者側です。
しかし、そのクライマックスはやはり「池田屋事件」。その後も新政府軍に上がらい続けましたが、やはり見せ場はその死にざまではないのです。
そういう意味では、真田幸村は究極の大器晩成。
最大の見せ場がその死にざまだったからこそ、「真田丸」は最初から最後まで全部見なければいけない。
豊臣に仕え、歴史の荒波にもまれるも、決して最前線にはおらず、結局何も成し遂げず。真田の名前と父の威光だけが独り歩き。そんな男が人生の最後に挑んだ大坂の陣。
なんのため? 大恩ある豊臣のため? 父や兄が守ってきた真田の家や故郷のため? それとも己のため?
いろんな思いを背負って、死を覚悟して家康の前に立った人生最後の日こそが、真田幸村のすべて。そこに勝ち負けは関係ないのです。
だから、最初から最後まで見ないと、真田幸村最後の一日の重みはわからない。
そして、「真田丸」を最後まで見なければいけないもう一つの理由が長澤まさみ演じるきりの存在。
信繁を慕えど、信繁はいつもほかの女性と結ばれる。それでも、憎まれ口を叩きながら、信繁のそばにいる。
どんな精神力や!
そして、大坂夏の陣出陣前夜、幸村は、きりを抱きしめキスをする。「遅い」と愚痴るきり。そこで入るナレーション。
「実は、高梨内記の娘(きり)に関する記録は少ない。信繁の側室であったとも、信繁の子を生んだとも伝えられている」
要は、何もわかっていないということですね。当然と言えば当然。負けた側の幸村の記録が残っているだけでも儲けもの。仮にきりが側室だったとしても、名家の生まれというわけでもない。記録がなくて当たり前です。
「ただ一つ確かなことは、信繁に関わった女性の中で、彼女が最も長くそばにいた、ということである」
この一言が、なんか救われます。
最終回では茶々から幸村との関係を問われてきりは「腐れ縁」と返しています。そんなきりを嫉妬するようにみる茶々。
これが、「真田丸」を最初から最後まで見なければいけない、もう一つの理由です。全部見ないと、この「腐れ縁」に込められた思いは伝わらない。
さて、「真田丸」の最終回にはサブタイトルがなく、プロデューサーは視聴者それぞれが勝手のつけてよいとのこと。
というわけで、僕も勝手にサブタイトルをつけさせてもらいます。
NHK大河ドラマ 真田丸 最終回「極点」
極点とは、いわゆる南極点、北極点のこと。
これまで、ずっと歴史の裏舞台にいた真田幸村。
そんな彼が迎えた最後の日。それは、彼が歴史のど真ん中に立った、歴史が真田幸村を中心に回っていた最初で最後の日。
それは真田幸村の人生、ドラマが到達した究極の一点、究極の瞬間であり、それが「極点」という言葉のもう一つの意味です。
真田幸村が歴史の敗北者なのか、それとも人生最後の日に極点にたどり着いた男なのか、ドラマを見た人なら、その答えがわかるはずです。