ある日の夜、友人から電話がかかってきた。
その友人から連絡が来るのは、実に2年ぶりだ。
その友人とは、以前、僕をマルチ商法のセミナーに、マルチであることを隠して誘ってきた友人である。
怪しいマルチ商法のセミナーに連れ込まれて、無事生還した話
その後、一回花見の誘いがあったっきり、2年間音沙汰がなかったのだが、突然電話が来たのだ。
またマルチ商法の勧誘か? といぶかしみながら電話を取る僕。
2年ぶりに連絡してきた友人は久しぶりに連絡したくなったといい、自分の近況を告げた後、僕の近況を聞いてきた。
最近、仕事はどうだと聞かれて、最近仕事が減ってきた、と答える僕。
まあ、ここまでは普通のやり取りだった。
最初に違和感を感じたのは、
「最近、体調はどうですか?」と聞かれた時だった。
体調?
え、なんて僕、電話口で健康チェックされてるの?
続いて、またしても仕事の話を聞かれる。
……なんか一方的にいろいろ質問されてる気がする。
おいおい、これはいったい、なんのアンケートだ?
と警戒レベルを引き上げる僕。
やがて話は再び友人の近況に戻り、友人は以前に勧誘してきたマルチ商法をやめたとのこと。
そりゃぁそうだろう。あれ、儲からないよ。そして、君はああいう詐欺まがいの商法に向いてないよ。
そして、首をかしげる。
もうマルチをやっていないのなら、
さっきのアンケートは何?
「最近、体調はどうですか?」はどう考えても「世間話」では片づけられなかった。
しかし、しばらく話した後、友人は電話を切ってしまう。
……なんだったんだ?
「本当に懐かしくなって電話をしてきた」とも考えたが、やっぱり「体調どうですか」が引っかかる。
すると、10分ほどして、再びその友人から電話が来た。
今度は開口一番
「実は最近、ある研修を受けているんですけど、ノックさん、興味ありませんか?」
「研修」と聞いて警戒レベルをマックスレベルに引き上げる一方、「やっと本題に入ったか」と少し安心した自分がいた。これでアンケートの謎もある程度解けた。一方で、「おいおい友よ、今度は何に騙されてるんだ?」と友を心配する。
なんの研修か説明することなく、研修に興味はないかと進める友人。おそらく、なんの研修か説明したら速攻で断られる類のものなのだろう。
研修なんて興味はないよと答えると、「研修に興味はないのはなぜですか?」
そこで少しムッとする僕。
「研修に興味がない理由を、なぜ今僕がここで分析しなければいけないんですか?」
興味がないものは興味がない。その理由を分析するのは、なかなかめんどくさい。自分の内面と向き合う必要があり、ある程度の集中力を要する。
なぜ、今、僕がここでその理由を分析しなければいけないのか。めんどくさい。
しかし友人は「そうなんですね。でも、そういう風に考えられるって、すごいですね」
やがて話は再び仕事の話へ。最初の電話で正直に「最近仕事が減っている」と話したことで話のとっかかりを与えたらしく、「今よりもっと稼ぎたいと思いませんか?」と友人。
ああ、これ、
マインドコントロールの典型的な手法だなぁ、と思うけど口には出さない僕。
そのうち話は「今の仕事にやりがいがあるか」といった話題に。
僕は自分のライターという仕事に何のこだわりもないので、「別にやりがいとかいらない」と回答。
するとそこを突っ込んで聞かれたので、「仕事以外の場でやりたい事が出来ているので、ことさら仕事にやりがいは求めない」と答えた。
すると友人は「仕事以外でできてる『やりたいこと』って何ですか?」と聞いてきた。
これまで、超正直に答えてきた僕だが、この質問に答えるのは躊躇した。この質問の答えは僕の内面にかかわるものであり、他人に簡単に話したくはなかった。それに、さっきのアンケートの問題もある。これ以上自分に関する情報を与えたら、何か不利益になるかもしれない。
さて、どうしたものかと考えて、「言いたくないです」と答えた。
言いたくないのは本当だし、「言いたくない」と言えば、相手もそれ以上突っ込んでは来るまい。
だから友人が「言いたくないのはなぜですか?」と質問してきた時は本当に驚いた。
ふつう、そこ聞く!? 「言いたくない」っつったら普通は「なんかまずいこと聞いちゃったかな」とブレーキをかけるはず。そこでアクセル踏み込む!?
そもそも、「言いたくない」って答えるとき、言いたくない理由そのものが一番言いたくないことである可能性が高い。なのに、聞く!? 「言いたくない理由」を答えたら、「言いたくないこと」を答えたも同然な気がする。
「『言いたくない理由も言いたくない』とは考えなかったんですか?」
「そうなんですか?」
「いや、『言いたくない』と言ったときは、その理由も含めて『言いたくない』と考えるのは、常識だと思いますよ」
「そうなんですか。でも、そういうこと考えられるって、ノックさん、すごいですね」
ここで再び違和感を感じる僕。
さっきから、少し突き放すような答え方をしてしまったと反省していた。
にもかかわらず、友人は文句の一つも言わない。「そういう言い方ってないんじゃないですか」ぐらい言ってもいいと思う。
それどころか、何を言っても僕への誉め言葉につながる。ちょっと突き放すような言い方だったとしても。
そういった問答が30分ほど続いた。あの手この手で研修に話をつなげようとする友人と、なるべく正直に答えつつも必要以上に情報を与えないように注意し、研修の話になるときっぱりと断る僕。
段々とわかってきた。
おそらく、
友人の手元には勧誘のためのマニュアルがあるとみて間違いない。
最初の電話もそのマニュアルに沿って世間話をしていたのだろう。一度電話を切ってかけなおしたのも、マニュアルに準じてのことだろう。
そして、そのマニュアルにはこう書いてあるに違いない。
「仕事の話や体調の話をして、世間話で相手の心をほぐしましょう」。
だから、友人は「体調はどうですか?」などというおかしな質問をしたに違いない。「体調」という言葉がマニュアルに書いてあって、そのまま読んだのだろう。
そして、そのマニュアルには
勧誘フローチャートのようなものがあるはずだ。話の中から相手の悩みなどを引き出して、
「こういうタイプの人にはこういう風に攻める」と書いてあるのだろう。僕の「仕事が減っている」という話をとっかかりに、
「仕事に悩んでいる人には、仕事のやりがいの面から篭絡していきましょう」とでも書いてあるのだろう。
さらに、そのマニュアルには
「相手をほめちぎりましょう」と書いてあるに違いない。おだてられれば一般的には悪い気はしない。いい気分になる。結果、勧誘しやすくなる。だから、何を言っても、言った本人が反省するくらいちょっと失礼な返し方をしても、必ず誉め言葉につながる。
「それにしても、いったい彼はいつまで電話しているつもりなんだろう?」とイライラし始めた時、突然彼が「もう、つべこべ言わずに、研修に来ちゃいなよ!」
……マニュアルにそう書いてあるんだな!
「通常の勧誘方法が通じない相手には、真正面から研修に来るように誘いましょう」とでも書いてあるんだな! その証拠に友よ、少し笑ってるぞ。君自身、「これはちょっとないわ」と思ってるんだろ?
「絶対に嫌です」ときっぱりと断る僕。
その後も数分、やり取りが続く。すると友人が
「もしあれだったら、もう電話切ってしまっていいので……」
その言葉が出た瞬間にこれ幸いと電話を切る僕。
友よ、きっと君は「こいつ、ほんとに切りやがった!」と思ったに違いない。
我ながら、ちょっとひどい対応だったな、と思う。少し反省している。
だが、友よ、わかってほしい。僕も少しイラついていたんだ。
なぜ、イラついていたのかだが、友よ、
僕は君に言いたいことが3つある。
一つ、君は電話の一番最初に、致命的なミスを犯している。
君は一度も「今、電話、大丈夫ですか?」と聞かなかったね。
僕がイラついていた最大の理由が、これなんだ。「こいつ、確認もしてないのに、僕が今、電話できると思い込んでやがる」、これなんだ。
突然電話してきた君に、僕が今、長電話ができる状態かどうかわかるすべはなかったはずだ。
食事中だったかもしれない。電車の中や運転中かもしれない。家族とテレビを見ていたかもしれない。
なのに君は、僕が電話できる状況か確かめず、一方的に話し続けた。
僕が電話に出たうえ、特に何も言わなかったことから、「僕は今、電話をしても大丈夫」と判断したのかもしれない。
実際、僕はその時、電話に出て大丈夫な状態だった。
だが、だからと言って、「今、大丈夫」と確認しなくていい、なんてことは断じてない。
「今、電話大丈夫?」は、電話を掛けたものが自分から切り出さなければいけない、礼儀だ。自分の好きなタイミングで見れるメールと違い、電話は相手の都合を確かめなければいけない。簡単な電話ならまだしも、長々と話すならなおさら。
ただ、友よ、僕は別に、君を責めているわけではない。
僕が責めているのは、君の手元にあるであろうマニュアルのほうだ。
君が「電話、大丈夫?」と言わなかったのは、君に常識が欠けていたからではない。
マニュアルに「今、電話大丈夫?と聞きましょう」という言葉が欠けていたからだ。
人を勧誘するのであれば、相手を不快な思いにさせる要因はなるべく排除するべきだ。
そして、もし相手が電話できない状態にもかかわらず、そのことを確認せずに一方的に長々と話せば、
相手は確実に不愉快に思う。それは、人を勧誘するうえで、致命的なミスである。
勧誘マニュアルなのにそのことが抜けている。それだけで、マニュアルとしてはかなり減点ものだ。
二つ。君のマニュアルには「何を言われても誉め言葉で返しましょう」と書かれていたはずだ。一般的に、人は褒められれば気持ちがよくなり、相手に心を許す。勧誘しやすくなる。
……一般的には。
だが、
世の中には、誉め言葉を簡単には信じない人間がいる。
僕がそうだ。
誉め言葉に強いのではない。誉め言葉を簡単には信じない。褒められても「どうせお世辞だろ」と受け流す。
特に、
利害関係が生じる相手からの誉め言葉は、そう簡単には信じない。
そういう人間にいくら誉め言葉を積み重ねてもあまり効果はない。むしろ、
過剰な誉め言葉は違和感を生んでしまう。
これもまた、マニュアル側の問題だ。「誉め言葉が通用しない人間がいる」ということを考慮していない、マニュアルの欠陥である。
三つ。友よ、君は実に30分近く勧誘の電話をし続けた。
だが、ちょっとでも僕に対して、手ごたえを感じたかい?
僕は一貫して、研修の話になれば「絶対に嫌です」と答えたはずだ。
この「絶対に」に、自分の意志の固さを込めている。君はそれに気づくべきだった。
そして、早々に電話を切り上げるべきだった。
なぜなら、30分も勧誘し続けて、時間を無駄にしたのは、
ほかでもない君自身だからだ。
僕は途中から「これ、ネタに使えるな」と思って聞いていた。そして今、この記事を書いている。あの30分は無駄ではなかった。
だが、君にとって、あの30分は無駄ではなかったか? 30分勧誘し続けて、結局無駄に終わるのなら、早々に切り上げて別のカモに電話をするべきだった。
これも、マニュアル側の問題だ。
君の持っているマニュアルは「どんな手を使っても必ず相手を研修に参加させる」という前提で書かれているのだろう。
僕もピースボートでポスター張りをしていた時、「断られてからが本当の交渉」と言われた。
だが、それは、
ある程度の話術がある人の話だ。
僕は、話術がないから、断られたら早々に切り上げた。
下手に居座っても、むしろトラブルのもととなるからだ。
何かを勧誘したり頼んだりするとき、相手の反応は〇か✖の二択だ。
しかし、
✖にもいろいろあって、「△に近い✖」と、「完全な✖」の二種類に分かれる。
「△に近い✖」ならば、相手がちゅうちょしている理由を探り、それを取り除けばいい。
だが、
「完全な✖」をこじ開けるには、かなりの話術がいる。
そして、
話術がない人間は、「△に近い✖」か「完全な✖」かを、最初のやり取りで判断して、「完全な✖」だったらさっさと退散して、ほかの人をあたったほうがいい。
そのことが書いていない。話術にかかわらず、「とにかくごり押せ」の一辺倒。それもまた、そのマニュアルの欠陥なのだ。
友よ、結局君は、その研修がなんの研修だったか、最後まで言わなかった。
なんの研修だかわからないが、君とのやり取りから、マニュアルを作った人間は
「自分の要求だけを一方的にゴリ押しして、必ず相手を従わせる」という思考の持ち主であることが透けて見える。
そんな奴の主催する研修なんて、推して知るべしである。
さらに、その研修はかなりクオリティが低い。「勧誘なのに、相手を不快にしてしまう」、「誉め言葉が通用しない人間に対処できない」、「『あきらめて別をあたる』という勧誘手法を知らない」。
このような勧誘マニュアルの欠陥を見るだけで、研修のレベルも推して知るべしである。
何なら僕が、「上手な勧誘の仕方・基礎編」の研修をしてあげたっていいんだぜ?